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アンドリューはなぜ叩き続けたのか 〜 映画「セッション」

全国1000万の「やりたいことがわからない病」のみなさん、こんにちは!

今日もやりたいことを探していますか?

歌詞を改めて見てみましたが、探し物が見つからないことがなぜ夢の中につながるのか、イマイチフルイチ意味がわかりません。

「やりたいことがわからない病」に罹患するポイントはいくつかありまして、そのポイントによっては「やりたいことを見失ってしまった病」、「やりたいことを頑張れない病」であることが本当の症状だったりします(類似症状として「何をやっても続かない病」も多見されます)。

命式を作らせていただく際、命式を見ることで知りたいことがあれば教えてください、といつもお願いしていますが、多いお答えは「何に向いているかを知りたい」です。

これにも2つのパターンがありまして、今やっていることが向いているのだ、と背中を押すことを求められているケースと、暗中模索なのでヒントが欲しい、という方ですね。

ま、命式でわかるのは常々もうしておりますように、ブルドーザーか田植え機か、ぐらいのものなのです。あんたはブルドーザーなんやからビル作っとったらええで!と言うのは簡単なんですが、えー、ビル作りなんてやだー、と眉間にシワを寄せられる方が必ずいらっしゃいます。こちらからの提案に抵抗を示される方は、実はやりたいことがある方です。

そうですか、私はビル作りが向いているんですか!と身を乗り出す方は、ビル作りに一向に足を踏み出されなかったり、踏み出しても続かなかったりします。

やりたいことの種はどなたもお持ちなのです。それは持って生まれたものかもしれないし、誰かが勝手に植え付けたものかもしれない。

種の存在に気づいてせっせと水をやったりされる方もいますし、せっかく芽がでてきたものをそれが何かわからずに世話をすることなく枯れさせてしまう方もあり。

これ、大事な種なんですよ、芽なんですよ、ということに気づいていただけたなら「やりたいことがわからない病」からは解放されることでしょう。

そだちつつある芽にその後のケアとフォローをするか否か、それはその方の選択です。

まずは大事な存在であった、ということに気づいていただくことが必要です。その上で、それに水をやり続けていくかどうか、それはあなたの選択です。水をやり続けて咲く花を、これがあなたの花ですよ、とお伝えするだけでは、それが自分がなるべきものだとはなかなか受け入れていただけません。

なぜその種があったのか、種があることでどんないいものがもたらされたのか、なぜ自分はそれに水をやり続けたのか、もしくはやらなかったのか。

以上、長すぎる前フリでした(前フリだったのか。

「セッション」という映画を見ました。

セッション [DVD]

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鬼コーチのしごきと、それに耐えられない教え子、最後には「コーチのおかげです!」めでたし、めでたし、となる映画かな、ぐらいにしか思っていなかったのですが、ちょっと違ってたー。

ネタバレになりますが、ちょっとだけ。

名ドラマーを目指して名門音楽学校に入学したアンドリュー、名物鬼教師にしごかれます。しごかれるということは目をかけてもらえてるシルシ。飴と鞭でコントロールされますが、しごきは忍耐の限界を超え、ヘマもやらかし教師の逆鱗に触れ学校を追われることとなります。

音楽の道を志したことは家族からは歓迎されていませんでした。大学で優等生の兄貴は家族の自慢。音楽なんかやってもしゃーないやん、と否定されます。

家族に受け入れてもらえなかった痛み、そんなお話なのかしら?

親に認めてもらえないこと、鬼教師からのダメ出しに凹んだアンドリューが手を伸ばしたのは幼い自分が撮影された動画でした。

ドラムを叩いています、いいぞアンドリュー!うまいぞ!父の声が聞こえます。

おとうさんが喜ぶから叩いていたのに

親の求めるものをやったのに、ハシゴはずされちゃったって感じのお話しなのかしら?

その背中をみつめていた父親、そして父親のシャドーとしての鬼教師ってお話なのかしら?

そう思いながら見続けていましたら、結末は想定外のものでした。アンドリューはドラムの道にめでたく復帰します。

父親のエピソードは余計だったなー。アンドリューがドラムをあきらめかけた時、父親はたしかに寄り添ってくれている風情でしたが、アンドリューの心に強く響く描写ではありませんでした。

この映画でもっとも印象的だったのは、アンドリューを音楽の道に引き込んだのは過去の偉大なミュージシャンたちだということです。

アート・ブレイキーのように叩きたい

トニー・ウィリアムスのようなドラマーになりたい

アンドリューが手を血だらけにしながらも叩き続けたのは、目指す灯台としての音楽があったからです。

ではなぜアンドリューは灯台を持つことができたのか。

父親がジャズ好きだったのかもしれません。ジャズを耳にすることが当たり前であった環境、それはアンドリューがおとうさんからジャズの種を蒔かれた、ということになるのでしょう。

父親への思いだけがアンドリューにジャズの種を育てさせたのではありません。偉大なるjazzmenたちのパワーやスピリッツ、そしてそれを受け取ることができたアンドリューの感性、それは持って生まれたものかもしれませんが、様々な要素によってアンドリュー自身が育んだものです。

生きている限り、その人の年齢に応じた時間をすごしています。その時間で得られたものは、持って生まれたものを凌駕しているはず。

あなたの過去を知らない人に、あなたのやりたいことを提示できるはずもありません。すごしてきた時間で、何を見つけ何を育んだのか、その棚卸し、整理整頓作業は「やりたいことがわからない病」脱却のためには不可欠です。

簡単に答えを求めないでください。

これだ、というものが見つかるまではもどかしいかもしれませんが、探す作業、やりましょう。見つかるまで、お伴いたします。