仮称)コネクトロンのブログです

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今日の朝刊から

今朝の朝刊、と書くと、馬から落ちて落馬した状態ですからね。

目についた2つの記事

子どもがほしいの向こう側〜1


耕論〜障害者とともに

まずは「子どもがほしい」のほう。

これ、「芽生えた命、見捨てたくない」って見出しだけ見て、流産の話かな、と最初は思ったのですよ。そしたらですね、採卵した受精卵を凍結して、めでたく妊娠出産した。そしたら残ってる凍結胚が気になってきた、それも命じゃん、産まなくていいの?と。

同じ体験をしないと思いは共有できないことは多いですが、人工授精での不妊治療をした人にはこんな悩みも生ずるのかと正直驚きました。

子どもが授からなくて、不妊治療をして、めでたく授かった。めでたし、めでたし、とならないのですね!!

人って持ってないものを果てしなく欲しがるのだなー、と思ってしまいました。

子どもがひとりなら、2人目は?となるし、2人とも女の子だったら、男の子は?となるし。ま、これは周囲の人間が言うことが多いでしょうけれど。

この場合、2人目、3人目をどうするかではなくて、凍結された胚もれっきとした命だ、産まなくていいのか、というお悩みでしたが、ここで思ったのは「ひとり生まれたんだからいいじゃん」といくら周囲が言ったってこのご夫婦のお悩み解決にはならないだろうな、ということなのです。

世の中にはもっと苦労してる人がいるんだから、というセリフだけは絶対に口にしないように心がけておりますが、思いを押さえつけることになってしまう「言い聞かせ」も悩む人を救うことにはならんなー、と痛感してます。

言い聞かせとは、得られない欠落感を得たものでチャラにさせようとすることです。

2人目を望んでいる人に対して、1人いるんだからいいじゃない、とか、世の中には子どもが欲しくても産めない人もいるんだから、とか

あ、やっぱ結果的には「世の中=他者」との比較になってますね。

持っているものに目を向けなくて、持っていないものばかりを欲しがってしまうのは穴ぼこがあるから。埋めても埋めても埋まらない穴ぼこがあるから。

なくてもいいじゃん、っていくらまわりが「言い聞かせ」たって穴が埋まるはずもありません。そして、言い聞かせてしまうのは、相手の穴ぼこを埋められない痛みから解放されるためです。

人の悩みや苦しみに寄り添い続けるって難しいことですね。でも、寄り添い続けることでしか解決できないこともある。すべての悩みがショートカットで解決されるわけではありません。

次、「障害者とともに」のほう。

障害者も「普通」の人なんだから

普通に接してよ

特別扱いしないでおこうよ

特別扱いしないでよ

障害者を論ずるとこでは「普通」という単語が頻発です。

何で読んだのか失念してしまいましたが、ちょっと前に発達障害だと診断されてものすごく楽になれた、という記述がありました。発達障害の方がよく言われることですよね、病気だったんだ、自分が「普通じゃない」のは病気のせいだったんだ、と。

普通でないとお墨付きをもらうことが、発達障害の方にとっては喜ばしいことなのです、安心できることなのです。

障害の場では「普通」が求められるし、発達障害では「普通じゃない」ことを認めることが求められる。

この違いな何なのか、ここまで考えて行き詰まりました(スイマセン、スイマセン。

発達障害についてはこのツイートがほとんどすべてを言い表していると思うのですが

https://twitter.com/butvbox/status/716463126535745537

この考え方、発達障害に限りませんね、不妊も痴呆も同じです。なんでこうも不妊や痴呆が増えてしまったのか。

「隔てずフツーに接する」の記事で最も重要な箇所は

家族でもなく支援者でもないのにダウン症に感情移入してきて思うことは、教育の大切さです。障害についての知識があるかないかで、接し方は大きく変わります。想像力も欠かせません。当事者に一番近づけるのは、想像の世界ですから

想像=相手の気持ちを慮ること

となると、発達障害の診断にメリットを感じる方の気持ちを私はイマイチフルイチ受け止めきれていないことになりますが、困った症状、現象を病名にすりかえることによって感情に対処しなくてはいけない部分がスルーされてしまうのが嫌なんですよねー。

だってそこに穴ぼこがあるのに。


昨日のエントリー「明石家さんまは太陽か」に寄せていただいたコメントで初めて気づけたんですが、これって紛れもなく私のことですwww